丸子町の文化発展の礎となったともいえる養蚕と製糸業について学ぶ
ツルヤ(長野県民に愛されているスーパー)で買い物後の帰り道、いつも気になっていた254号線を走っていると右手にある教会を見に内村街道へ右折したところ、
丸子郷土博物館という建物を発見しましたので、中を覗きに行ってきました。
建物周辺と玄関に小森邦夫さんの彫刻芸術が並ぶ。美しい
考古を中心とする依田窪地方歴史
□先土器時代と和田峠の黒曜石
黒曜石の産地として名高い、和田岬付近・男女倉遺跡出土遺物などを展示
※実際に黒曜石を触ることができます。
□縄文時代と深町遺跡の呪術
深町遺跡から出土した、膨大かつ質の高い遺物を中心に展示
□古墳時代と社軍神遺跡の玉作
□奈良・平安時代と諏訪田遺跡の官衙的遺構
□中世城館跡と地域開発
□鳥羽山洞窟と曝葬
etc...
明暦(めいれき)元年(1655)ごろ、丸子町の依田川沿岸数10haが開墾(かいこん)され桑の植付けが行われたのを最初に、信濃国で最も早く蚕糸業が発達しました。上田には、生糸を扱う豪商(ごうしょう)もあらわれま'した。そして明治初期には、この地方の生糸生産高は長野県全体の約半分を占めるなど、生糸の一大産地となります。また、それにともない蚕種(さんしゅ)業も発達し、天保年間(1830~1843)には、本場奥州(おうしゅう)をしのぐほどになりました。
引用元:
https://museum.umic.jp/maruko/index.html
製糸業発展の基盤から全盛期、衰退と現在、労働者の各項目が展示されています。
歴史と数字が苦手な自分ですが、左右脳海馬が刺激された空間だったので、少しは丸子町の歴史を記憶できたと思われます。
森佐一さんの「明日へ 」を見て明日もがんばろう。
では